雑学:古代まで遡る薄毛(AGA)治療の歴史とは
人間は太古の昔から薄毛をカバーする方法を模索し続けてきました。薄毛治療の歴史を追うと、薄毛治療が時代と共に発展してきたことが分かります。現代人から見ると奇妙に思える療法もありますが、数多くの試みが現在の薄毛治療につながっているといえるでしょう。
今回は薄毛治療の歴史に着目し、古代から現代に至る様々な療法の軌跡を紹介します。
薄毛治療のルーツとは?
薄毛治療のルーツは古代まで遡ります。古代エジプトでは医療に関する高度な技術があったとされ、紀元前1550年頃には「エーベルス・パピルス」という名の医学書が書かれています。「エーベルス・パピルス」は108章から構成され、心臓の働きや虫歯、消化器や眼などの病気、皮膚疾患や外科手術、認知症や婦人病といった多岐にわたる医学情報が編纂されています。
薄毛に関する情報も含まれており、「薄毛を改善して毛髪を生やす治療」として「ライオンや猫、カバ、ワニ、ヘビなどの脂を軟化させて幹部に塗布する」などと記されています。また、古代ギリシャでは鳩の糞を育毛剤として使うことが考案されたようで、古代においても薄毛改善に対する意識が高かったことがうかがえます。
ローマ皇帝の薄毛隠しは現代のヘアスタイルに通ず?
古代で活躍した人物といえば古代ローマ皇帝のガイウス・ユリウス・カエサル(英語ではジュリアス・シーザー)が有名ですが、彼には薄毛を気にする一面があったらしく、月桂樹の枝を編んだ月桂冠を薄毛隠しのために被っていたという逸話が残されています。また、カエサルは薄毛を目立たなくするために敢えて頭髪を短く切り揃えたともいわれており、その髪型は現在でも馴染みのある「シーザーカット」の原型となっています。
シーザーカットは1990年代下旬に海外で普及し始め、アメリカの医療ドラマ「ER」においてジョージ・クルーニーがこの髪型で出演していたことから瞬く間に人気が出たといわれています。現在ではベーシックなシーザーカットのほか、前髪部分が長いダウンバング風のスタイルや、ソフトモヒカンのように側頭部を短くカットするスタイルなど幅広いバリエーションが存在しています。
中世ではウィッグが主流に
中世時代のヨーロッパでは、ウィッグ(かつら)を利用して「薄毛をカモフラージュする」方法が普及するようになります。
そもそもウィッグ自体の歴史は古く、その起源は古代メソポタミア時代まで遡ると考えられており、その後エジプトやギリシャ、ローマに伝えられ、シルクロードを経て中国そして日本にも伝播したといわれています。古代におけるウィッグの役割は国や地域によって異なり、エジプトでは主に宗教的行事を執り行う人々が強い日差しから頭部を守るために着用し、古代ローマでは薄毛を隠す目的や変装のために利用されていたようです。
その後、西洋におけるウィッグの流行はキリスト教の広まりによって下火になっていきます。キリスト教ではウィッグを被ることが「本来の自分を偽ること=神様を貶めること」と解釈され、西暦600年後半にはウィッグを被ることが破門の対象とされた例もあったようです。
しばらくの間このような傾向が続きますが、1100年代初頭にイングランド王であるヘンリー1世が聖職者から毛髪を切るように命じられたことが変化の兆しとなります。
彼は断髪後にウィッグを使用して長髪姿をキープしたのですが、そのスタイルがロイヤル界に波及し、以後「おしゃれのためのウィッグ」が西ヨーロッパで流行、ウィッグ専用の職人が生まれるきっかけにもなったようです。その後、フランスのルイ13世が薄毛をカモフラージュするために20代の若さでウィッグを利用したことから、改めて「薄毛をカバーするためのウィッグ」という概念が広まり、ルイ15世の時代以降はウィッグがより手頃な価格で販売されるようになったため市民の間にも普及していきました。
江戸時代を迎えた日本では育毛剤が誕生、ウィッグやつけ毛も普及
日本では古くから身分の高い者が装飾品として菖蒲を利用したウィッグを身に着けていましたが、中世時代には薄毛がコンプレックスだった皇女が薄毛対策のためにウィッグを利用したと伝えられています。
太平の世と呼ばれる江戸時代に入ると、政情の安定によって美に対する庶民の意識も高まっていきます。その流れを受けるかたちで1800年代前半に出版されたのが、上中下の3巻3冊から成る「都風俗化粧伝」です。「都風俗化粧伝」は「美の総合的な指南本」ともいえる書籍で、化粧品や薬の紹介、メイクや洗髪のやり方など美に関する幅広い情報が記載されているほか、「毛生え薬」と名付けられた薬も含まれています。本薬の主な成分は柑橘系のフルーツエキスで、地肌に塗布することで薄毛改善効果を狙ったとされており、さしずめ育毛剤の前身ともいえるアイテムです。また、江戸時代にはウィッグやつけ毛もより一般化します。男性の場合は丁髷(ちょんまげ)の先端部分の毛量を増やすためにつけ毛を使用し、女性はもともと利用されていた「かもじ」とよばれるウィッグのバリエーションが増えたといわれています。
近代になるとサーモキャップや植毛が発明される
近代に入ると、様々な技術の発展に伴ってより画期的な薄毛治療が開発されるようになります。1920年代のアメリカでは、サーモキャップを頭にかぶせ、地肌にライトを当てて毛根を刺激することで発毛を促そうとする試みがなされました。1930年代には、日本人医師の奥田庄二氏によって「火傷で損傷を受けた毛髪の再生」を目的とした植毛の研究が実施されます。奥田氏の死によってそれ以上の成果には至りませんでしたが、彼の研究はアメリカの医師ノーマン・オレントライヒ氏に影響を与え、1950年代の終盤に確立される「パンチ・グラフト植毛」につながります。当時の植毛は、毛根をくり抜いて毛髪が薄い部位に移植するという方法が一般的でした。
現代ではAGA治療薬を中心とした様々な治療方法が確立
1960年代以降になるとAGAに特化した治療薬の開発が進められるようになります。世界初のAGA治療薬の主成分となったのが「ミノキシジル」で、もともと高血圧を改善する薬に配合されていましたが、副作用として多毛や発毛の症状が生じたことからAGA改善の薬に転用されました。
1980年代の初頭には、ミノキシジルが配合された頭皮に直接塗る外用薬タイプの治療薬「ロゲイン」がアメリカのアップジョン社(現在のファイザー製薬)から販売されます。なお、ミノキシジルは日本の大正製薬が販売する「リアップ」製品にも配合されています。
1990年代になると、アメリカのメルク社が研究する前立腺肥大症治療薬の主成分「フィナステリド」に抜け毛や薄毛を改善する作用があることが分かり、AGA治療薬としての開発が進められ、内服薬タイプのAGA治療薬「プロペシア」の誕生につながります。また、近年ではフィナステリドより広範囲の薄毛に働きかける「デュタステリド」が研究開発され、「ザガーロ」と名付けられて流通しています。さらに、現在では外用薬や内服薬だけでなく、頭皮に有効成分を注入することで薄毛を改善するメソセラピーやHARG療法、上記でも触れた植毛技術をさらに発展させた植毛方法なども普及し始めています。
まとめ
薄毛対策の歴史を紐解くと、人間が古くから毛髪を大事にしていたことが分かります。その思いは現代人にも受け継がれ、いまや自分に合った薄毛治療が選択できる時代になりました。現在の医学は驚くべきスピードで進歩しているため、薄毛を患わない時代が来るのもそう遠くないことのかもしれません。